退職者が出たとき、総務担当者が最初に頭を悩ませるのは有給の精算でも社会保険の手続きでもなく、「あの人が使っていたPCはどこにあるか」だったりする。デスクの引き出しを開けても見当たらない。IT担当に聞いても「営業部に渡した覚えはあるが、型番までは分からない」と曖昧な返事しか返ってこない。結局、誰かが記憶を頼りに社内を歩き回り、埃をかぶったノートPCを倉庫の奥から発見する。中にはログインパスワードすら分からず、初期化するしかないケースもある。
同じ会社で、経理担当者は別の頭痛の種を抱えていた。あるクラウドツールの利用契約が30アカウント分あるのに、実際にログインしているのは十数人程度だという指摘を、たまたま更新の見積書を見ていた役員から受けたのだ。誰がいつ契約数を増やしたのか、なぜ使われていないアカウントがそのままになっているのか、経緯を知る人は社内にいなかった。契約更新のたびに金額だけを確認し、内容は前年踏襲で通してきた結果である。こうした光景は、特定の業種や規模に限らず、成長途上の中小企業であればどこでも起こり得る。
なぜPCとライセンスの管理はいつの間にか崩れるのか
第一に、PCやアカウントの発行と回収が、人事異動や入退社のイベントに正式に組み込まれていないことが多い。入社時にはIT担当者が慌ただしくPCを用意するが、退職時の回収は総務任せになり、しかも退職手続きのチェックリストにIT資産の項目が入っていない会社も少なくない。
第二に、部署やプロジェクトごとに個別でツールを契約してしまう構造がある。マーケティング部がデザインツールを、営業部が名刺管理ツールを、それぞれ独自の判断で導入すると、全社の契約状況を一元的に把握している人がいなくなる。導入した本人が異動や退職をすれば、その契約の存在自体が忘れられてしまう。
第三に、台帳を作る作業がそもそも地味で優先順位が上がりにくいという事情がある。売上に直結しない管理業務は後回しにされがちで、気づいたときには何十台ものPCと十数種類のライセンスが、誰の管理下にもない状態で積み上がっている。
放置すると何が起きるか
まずセキュリティ面のリスクである。管理外のPCは、OSやウイルス対策ソフトの更新が止まっていることが多く、退職者のアカウントが有効なまま残っていれば、社外から社内システムにアクセスできる経路が残り続ける。情報漏洩や不正アクセスの多くは、こうした「誰も見ていない場所」から発生する。悪意がなくても、退職者が私物のように使い続けていたクラウドアカウントから、意図せず情報が流出することもある。
次にコストの垂れ流しである。使われていないライセンスであっても、契約が続いている限り費用は発生し続ける。一つひとつの金額は小さく見えても、複数のツールで同じことが起きていれば、年間で見ると決して小さくない支出になる。しかも、この無駄は請求書を眺めているだけでは気づきにくく、実際の利用状況と突き合わせて初めて明らかになる。
そして属人化の問題も見過ごせない。PCの配布履歴やライセンスの契約経緯が特定の担当者の頭の中にしかない状態では、その人が異動や退職をした瞬間に、会社は自社のIT資産について何も分からなくなる。新しく担当になった人は、ゼロから現状を洗い出す作業を強いられ、同じ苦労を繰り返すことになる。
台帳と運用ルールで仕組み化する
資産台帳を一元化する
まず取り組むべきは、PCとライセンスの台帳を一つの場所にまとめることである。PCであれば型番、シリアル番号、貸与先、貸与日を、ライセンスであれば契約数、利用者一覧、更新月を記録する。特別なシステムを導入しなくても、表計算ソフトで十分に始められる。大切なのは複数の台帳に分散させず、誰が見ても最新の状況が分かる状態を保つことである。
入社・異動・退職のフローに組み込む
台帳は作った瞬間から古くなっていく。だからこそ、入社時にPCとアカウントを発行する手順、異動時に権限を見直す手順、退職時に回収と無効化を行う手順を、人事や総務の既存のチェックリストに組み込んでおく。IT担当者の記憶や善意に頼るのではなく、手続きの一部として自動的に動く仕組みにすることが継続の鍵になる。
定期的な棚卸しで実態と台帳のズレを直す
台帳は作った時点で完璧である必要はない。半年か一年に一度、実際の利用状況と台帳を突き合わせる棚卸しの機会を設けるだけで、ズレは大きく縮まる。ログイン履歴が確認できるツールであれば、直近で使われていないアカウントを洗い出し、部署の責任者に必要性を確認するだけでも無駄な契約はかなり見えてくる。
まず何から始めるか、現実的な進め方
台帳化には手間がかかるし、現場の協力なしには進められない。すべての部署が使っているツールを正直に申告してくれるとは限らないし、完璧な台帳を一度で作ろうとすると、その重さに挫折してしまう。だからこそ、最初から完成形を目指す必要はない。まずは主要なPCの貸与状況と、契約金額が大きいライセンス数点から棚卸しを始め、分かる範囲で台帳に記録していく。抜け漏れがあっても、次の棚卸しで直していけばよい。小さく始めて、運用しながら精度を上げていくという考え方のほうが、結果的に長く続く仕組みになる。
壁を越えて働く人たちのために、足元を整える
IT資産管理は、それ自体が会社の成長を生み出すわけではない。しかし、現場で新しい挑戦に踏み出す人たちが、セキュリティの不安や無駄なコストに気を取られず、本来の仕事に集中できる土台を作る仕事である。退職者のPCを探し回る時間も、使われていないライセンスの請求書に頭を抱える時間も、本当は誰かの創造的な仕事に使われるべき時間だったはずだ。壁を越えて働く人たちを支えるのは、派手な施策だけではない。台帳を一枚整えることも、その一歩である。