「あのBCP、どこに置いてあるんでしたっけ」。2024年の能登半島地震のあと、ある製造業の総務担当者はこう社内に問いかけた。3年前に策定したBCP文書は、当時の担当役員のパソコンのデスクトップにPDFで保存されたまま、その役員はすでに異動していた。共有サーバーのどこかにコピーがあるはずだと探し回ったが見つからず、結局は記憶を頼りに関係者へ電話をかけ続けるという、BCPが本来防ぐはずだった混乱をそのまま再現する事態になった。
別の会社では、基幹システムがランサムウェア被害で停止した際、緊急連絡網に載っていた情報システム部長の携帯番号が3年前に退職した人物のものだったという話もある。BCPの体制図には名前と役職が書かれていたが、組織変更後に更新されておらず、誰が最終的な意思決定者なのかを一から確認するところから始めなければならなかった。策定した瞬間は最新でも、時間が経てば経つほど「使えない書類」に近づいていく。これがBCPという仕組みの厄介なところだ。
「作って終わり」のBCPが機能しない典型パターン
中小企業のBCP策定でよく見られるのは、コンサルタントの支援や助成金の要件を満たすために一度きっちりとした文書を作り、その後は誰も触らないというパターンだ。策定プロジェクトが終わると担当者は通常業務に戻り、経営者への報告と社内周知の機会は「一度だけの説明会」で終わってしまう。数か月後には内容を覚えている社員はほとんどいない。
さらに深刻なのは、BCPの内容そのものが特定の担当者の頭の中にしかないケースだ。文書には手順が書かれていても、なぜその手順になっているのか、代替拠点の鍵は誰が持っているのか、といった運用の勘所は担当者の暗黙知に依存している。その担当者が異動や退職でいなくなった瞬間、BCPは形だけの紙になる。
そして最も見落とされがちなのが、緊急連絡網や体制図といった「動的な情報」の更新漏れだ。組織図は人事異動のたびに変わり、取引先の窓口も入れ替わる。にもかかわらずBCP文書は策定時のまま固定され、誰かが定期的に見直すルールも担当も決まっていない。気づいたときには半分以上の連絡先が使えない、という状態になりやすい。
BCPを放置するとどうなるか、実際の災害・システム障害で起きること
これらの問題が表面化するのは、皮肉にも本当にBCPが必要になった瞬間だ。地震や水害でオフィスが使えなくなったとき、文書がどこにあるか分からなければ初動が数時間単位で遅れる。システム障害やサイバー攻撃が発生したときも同様で、誰に報告し誰が意思決定するのかという指示系統が実際には機能せず、現場は手探りで対応することになる。
この遅れは社内の混乱だけにとどまらない。取引先や顧客への影響が長引けば、事業継続体制そのものへの信頼が揺らぐ。特に大企業のサプライチェーンに組み込まれている中小企業にとっては、BCPの実効性そのものが取引継続の条件になりつつある。「作ってはいるが機能しなかった」という事実は、「作っていなかった」以上に評価を下げかねない。せっかく時間とコストをかけて策定したBCPが、いざというときに使えないために信頼を失うのは、最も避けたい結末だ。
BCPを「使える」仕組みにする運用の考え方
BCPを機能させるために必要なのは、より分厚い計画書を作ることではなく、今ある計画を定期的に動かし続ける仕組みだ。具体的には次の3つが軸になる。
- 年に一度など頻度を決めて訓練と見直しをルール化する。避難訓練と同じ感覚で、BCPの手順を実際になぞってみることで、古くなった情報や現実的でない手順が自然に見つかる。
- 文書をクラウドで一元管理し、関係者全員がいつでも同じ最新版にアクセスできる状態にする。個人のPCやローカルのファイルサーバーに置く運用をやめるだけで、「どこにあるか分からない」問題の大半は解消する。
- 緊急連絡網や代替拠点情報を、人事異動や組織変更のタイミングで自動的に、あるいは半自動的に更新される仕組みにする。人事システムや勤怠システムと連携させ、担当者が変わったら通知が飛ぶようにしておくだけでも、放置による陳腐化を大きく防げる。
これらはいずれも特別なツールを新規に導入しなくても、既存のクラウドストレージやグループウェアの権限設定と更新フローを見直すだけで実現できることが多い。重要なのは「誰が更新するか」を役職ではなく仕組みとして決めておくことだ。
中小企業がBCP策定・見直しで現実的に踏み出す第一歩
限られた人員とコストで運営している中小企業にとって、完璧なBCPを最初から目指す必要はない。まずは自社にとって発生確率と影響度が高いリスク、たとえば地震なのかシステム障害なのか、あるいは主要取引先の依存度が高い特定の業務なのかを絞り込み、そこから着手するのが現実的だ。全業務を網羅した計画を作ろうとして頓挫するより、優先度の高い部分だけでも「使える」状態にする方がよほど価値がある。
また、すでに存在する防災マニュアルや避難計画があるなら、それとBCPを別々の文書として管理するのではなく統合してしまうのも有効だ。社員にとっては「もう一つ覚える文書」が増えるより、一つの分かりやすいマニュアルにまとまっている方が実際の行動につながりやすい。
そしてBCPの策定プロセスには、経営者や総務担当者だけでなく、現場の社員を巻き込むことが欠かせない。実際に手を動かして業務を止めずに再開させるのは現場の人間であり、彼らの視点を入れずに作られた計画は、いざというときに現実と噛み合わない。策定段階から現場の声を聞くことが、そのままBCPの実効性を高めることにつながる。
仕組みをつくり、動かし続ける人たちへ
BCPは、一度作って引き出しにしまっておくための書類ではない。組織が困難に直面したときに、迷わず前に進むための約束事だ。その約束を生きた仕組みに変えていくのは、日々の業務に追われながらも「もしも」のために時間を割く、地味だが確かな仕事に向き合う人たちだ。完璧な計画よりも、更新され、共有され、実際に使われる計画を選ぶ。その判断ができる中小企業こそが、壁を越えて事業を続けていく力を持っている。オルアナは、そうした仕組みづくりに挑む人たちを、これからも支えていきたい。