新規事業の撤退が正式に決まった日、会議室にはどこか気まずい空気が流れます。誰も悪いことをしたわけではないのに、誰かが責任を取らされるのではないかという緊張感がある。担当者は資料を淡々と片付け、上司は「お疲れさまでした」とだけ声をかけ、その後は誰もこの事業の話をしなくなる。プロジェクトのSlackチャンネルはアーカイブされ、資料フォルダはどこかの共有ドライブの奥に眠り、半年後には「そういえばあの事業、何だったんでしたっけ」という会話すら起きなくなります。

これは決して珍しい光景ではありません。多くの中小企業で、新規事業の終わり方は驚くほど似ています。撤退の判断そのものは冷静に、時にはロジカルに行われるのに、撤退した後の総括だけがすっぽりと抜け落ちてしまう。結果として、次に立ち上がる新規事業もまた、前回とよく似た理由でつまずくことになります。

この記事では、撤退や縮小が決まった新規事業の経験を、個人の反省で終わらせず、組織の資産に変えるための振り返りの型、いわゆるポストモーテムの作り方についてお伝えします。撤退するかどうかの判断基準についてはすでに別の記事で触れていますので、ここでは撤退が決まった後、あるいは事業が終わった後に何をすべきかに焦点を絞ります。

撤退の判断ができる組織は、実はそれほど珍しくありません。損益や市場の反応を見ながら、続けるかやめるかを冷静に判断する仕組みを持つ企業は年々増えています。しかし、撤退を決めた後にその経験をきちんと振り返り、次に活かす形で組織に残せている企業となると、その数は一気に少なくなります。撤退の意思決定という一点だけに注目が集まり、その後のプロセスは誰も設計していないというのが実情です。この記事が扱うのは、まさにその抜け落ちがちな部分です。

なぜポストモーテムが必要なのか

ポストモーテムとは、もともと医療の現場で使われていた言葉で、患者が亡くなった後にその原因を明らかにするための検死を意味します。それがIT業界やプロダクト開発の現場に転用され、障害やプロジェクトの失敗が起きた後に、その原因と教訓を組織的に振り返る手法として定着しました。新規事業の文脈で言えば、事業が撤退・縮小に至った後に、何が起き、何を学び、次にどう活かすかを言語化する営みがポストモーテムです。

同じ失敗を繰り返す組織と学習する組織の分かれ道

新規事業がうまくいかない理由は、実はそれほど多様ではありません。市場を見誤った、体制が不十分だった、撤退のタイミングが遅れた、意思決定者と現場の距離が離れすぎていた。こうしたパターンは業種や事業内容が変わっても驚くほど繰り返し現れます。にもかかわらず、多くの組織では二度目、三度目の新規事業でも同じ壁にぶつかります。

その分かれ道にあるのが、振り返りを組織の共有知にできているかどうかです。振り返りをしない組織では、失敗の記憶は担当者個人の中にしか残りません。その担当者が異動したり退職したりすれば、教訓ごと組織から消えてしまいます。一方で、振り返りを仕組み化している組織では、事業は終わっても学びは残り続けます。次の新規事業を立ち上げるメンバーが、過去の教訓を踏まえたうえでスタートを切れる。これが、学習する組織と同じ失敗を繰り返す組織との決定的な違いです。

撤退の判断とポストモーテムは別の営みである

ここで強調しておきたいのは、撤退の可否を判断するプロセスと、撤退後に行うポストモーテムはまったく別の営みだということです。撤退基準の設計は「続けるか、やめるか」を合理的に判断するための仕組みですが、ポストモーテムは「終わったこの経験から、組織は何を持ち帰るか」を明らかにする仕組みです。撤退の判断が的確にできている組織であっても、その後の総括をしていなければ、経験は資産にならないまま消えていきます。逆に言えば、撤退の判断に多少の反省点があったとしても、そこから丁寧に学びを抽出できれば、その事業は決して無駄ではなかったと言えるのです。

実際にあった例を一つ紹介します。ある製造業の企業で、新しい販路を開拓するために立ち上げた通販事業が一年半で撤退となりました。撤退の判断自体は妥当なものでしたが、事業終了後は誰も総括をせず、担当者は元の部署に戻り、資料は共有フォルダの片隅に残されたままになりました。その二年後、別の部門が似たコンセプトの新規事業を立ち上げようとした際、当時の担当者はすでに転職しており、同じ市場調査の甘さ、同じ価格設定の誤りを繰り返しかけたそうです。たまたま当時のことを覚えていた社員が声を上げたことで大事には至りませんでしたが、もし振り返りの記録が残っていれば、そもそも同じ轍を踏むリスクに気づく必要すらなかったはずです。このように、振り返りをしないことのコストは、事業が終わった直後には見えにくく、数年後に静かに顕在化します。

ポストモーテムを機能させる三つの原則

ポストモーテムは、やり方を間違えると、関係者の心を傷つけるだけの場になってしまいます。逆に、正しく設計すれば、担当者にとっても組織にとっても前向きな時間になります。その分かれ目となる三つの原則を紹介します。

原則一 犯人探しをしない

最も重要な原則は、個人の責任を追及する場にしないということです。新規事業の撤退には、多くの場合、複数の要因が絡み合っています。市場環境の変化、経営陣の意思決定のタイミング、リソース配分、担当者の采配。これらのどれか一つを取り出して「これが原因だ」と決めつけ、特定の誰かに責任を負わせる形にしてしまうと、その瞬間からポストモーテムは機能しなくなります。

担当者は自分を守るために事実を隠したり、都合の良い解釈だけを話したりするようになります。同席するメンバーも、次に自分が矢面に立たされることを恐れて発言を控えるようになります。結果として、表面的で当たり障りのない振り返りしか生まれません。ポストモーテムの目的は誰かを裁くことではなく、システムとプロセスの問題を明らかにすることだと、進行役は最初に明言する必要があります。

原則二 事実と解釈を分ける

振り返りの場では、事実と、その事実に対する解釈や感想が無自覚に混ざり合いがちです。「顧客からの反応が薄かった」というのは事実ですが、「そもそも需要がなかった」というのは一つの解釈にすぎません。もしかすると、需要はあったのに営業のアプローチや価格設定に問題があっただけかもしれません。

ポストモーテムを進める際は、まず何が起きたかという事実を時系列で丁寧に並べ、そのうえで、なぜそうなったのかという解釈や仮説を別の工程として議論することが欠かせません。この二つを分けずに議論を始めると、印象論や声の大きい人の意見が結論を左右してしまい、本当の学びにたどり着けなくなります。

原則三 次に活かせる形で記録する

振り返りの場でどれだけ深い議論ができても、それが記録として残らなければ、時間の経過とともに記憶は薄れ、担当者の異動とともに知見も失われます。ポストモーテムの成果物は、感想文ではなく、次に新規事業を立ち上げる誰かが読んで実際に行動を変えられるレベルの具体性を持った記録である必要があります。抽象的な教訓だけでなく、次はどのタイミングで何を確認すべきか、どんな指標を見るべきかという行動レベルまで落とし込むことが大切です。

具体的な進め方

原則を理解したところで、実際にどのようにポストモーテムを実施すればよいのか、具体的な手順に落とし込んでいきます。

誰を呼ぶか

参加者の選定は、ポストモーテムの成否を大きく左右します。基本となるのは、実際に事業に関わった担当者、事業の意思決定に関与した経営層や上長、そして事業とは直接関わっていなかった第三者的な立場の社員を一人か二人加えることです。

直接の関係者だけで振り返りを行うと、どうしても内輪の空気ができてしまい、都合の悪い論点が暗黙のうちに避けられることがあります。第三者が加わることで、率直な質問が生まれやすくなり、議論が甘くなることを防げます。また、経営層が参加することは、この振り返りが処罰の場ではなく組織学習の場であるというメッセージを、参加者に伝えるうえでも重要です。経営層が同席しない振り返りは、担当者に「結局、上は関心がないのだ」という印象を与えかねません。

人数の目安としては、四人から六人程度が現実的です。人数が多すぎると発言が偏り、少数の声の大きい人の解釈が結論のように扱われてしまう危険があります。逆に少なすぎると、視点の幅が狭くなり、都合の良いストーリーに落ち着きやすくなります。また、社外の第三者、例えば普段から経営に伴走しているパートナーや専門家に進行役を依頼するという選択肢もあります。社内の人間だけで進行すると、どうしても組織内の力関係が発言のしやすさに影響してしまうためです。中立的な立場の人間が問いを立てることで、参加者は安心して率直な発言をしやすくなります。

いつ行うか

タイミングも重要な要素です。撤退が決まった直後は、担当者の感情がまだ整理されていないことが多く、冷静な振り返りが難しい場合があります。かといって、時間が経ちすぎると記憶が薄れ、資料も散逸してしまいます。目安としては、撤退の意思決定から二週間から一カ月以内、事業の後片付けや関係先への説明が一段落したタイミングで実施するのが現実的です。

また、一度きりで終わらせるのではなく、初回の振り返りから一定期間を置いて、改めて短い振り返りの機会を設けることも有効です。時間が経つことで、当時は感情的になって見えなかった構造的な問題に気づけることがあるためです。

どんな問いを立てるか

ポストモーテムの質は、当日の進行役がどんな問いを投げかけるかによって大きく変わります。以下のような問いを、事実の整理から解釈の議論へと順番に進めていくとよいでしょう。

まず事実の整理として、事業はどのようなタイムラインで進み、どこで何を判断したか。当初の仮説や計画と、実際に起きたことの間にどんなギャップがあったか。次に解釈の議論として、そのギャップはなぜ生まれたのか。事前に得られたはずの情報で、見落としていたものはなかったか。もし同じ状況にもう一度立たされたら、どのタイミングで、どんな判断を変えるべきだったか。

最後に、次に活かす視点として、この経験から得られた教訓のうち、次の新規事業の立ち上げ時に必ず確認すべき項目は何か。組織のどの仕組みを変えれば、同じ轍を踏まずに済むか。こうした問いを通じて、個人の反省ではなく、組織としての具体的な行動に落とし込んでいきます。

進行の型

実務的には、九十分から二時間程度のセッションを一つの目安とし、前半をタイムラインの共有と事実確認に、後半を解釈と学びの言語化に充てる構成が扱いやすいです。進行役は、特定の発言に対して善し悪しの評価を挟まず、あくまで問いを投げかけ、参加者の言葉を引き出す役割に徹します。ホワイトボードや共有ドキュメントにその場でタイムラインを書き出しながら進めると、事実と解釈が混同されにくくなり、議論も可視化されて有効です。

問いのテンプレート化

毎回ゼロから問いを組み立てるのは負担が大きいため、あらかじめ社内で使い回せる質問リストを用意しておくことをおすすめします。例えば、次のような項目をシートにして事前に共有し、参加者に当日までにひと通り考えてきてもらう形にすると、当日の議論が深まりやすくなります。

  • この事業を始めた時点で、成功の条件として何を想定していたか
  • 実際の結果は、その想定とどこがどう違ったか
  • 撤退の判断に至るまでに、どのタイミングで違和感に気づいていたか
  • その違和感に気づいてから、実際に行動を変えるまでにどれくらいの時間がかかったか
  • もし三カ月早く同じ判断をしていたら、何が変わっていたか
  • この事業を通じて、組織として新しく得られた知見やノウハウは何か
  • 次に似たような事業を検討する際、最初に確認すべきことは何か

こうした問いを事前に共有しておくことで、当日いきなり感想を求められて言葉に詰まるという事態を防げますし、参加者一人ひとりが自分の考えを整理したうえで場に臨めるため、議論の密度も上がります。

陥りやすい失敗とその回避策

ポストモーテムは、実施すること自体は難しくありませんが、効果的に運用できている組織は多くありません。ここでは、よくある失敗のパターンと、その回避策を挙げます。

感情的になってしまう

撤退した事業には、担当者の思い入れや悔しさが強く残っていることが多く、振り返りの場が感情的な議論になってしまうことがあります。誰かの発言をきっかけに「そもそもあの時の判断がおかしかった」といった非難めいた言葉が出ると、場の空気は一気に硬直します。

これを避けるには、冒頭で明確にグラウンドルールを共有することが有効です。この場は誰かを責める場ではなく、次に活かすための場であること、発言は個人ではなくプロセスや仕組みに向けること、感情的な発言が出た場合は進行役がいったん引き取って事実確認に戻すこと。こうしたルールを最初に合意しておくだけで、場の質は大きく変わります。

また、担当者本人に対しては、振り返りの前にあらかじめ個別に声をかけておくことも有効です。全体の場でいきなり指摘されるのではなく、事前に「この場はあなたを責めるためのものではない」という趣旨を一対一で伝えておくことで、担当者は身構えずに参加できます。逆に、事前の説明もなく大勢の前で当時の判断を問い詰めるような進め方をしてしまうと、担当者は防御的にならざるを得ず、その後の新規事業への挑戦意欲そのものを削いでしまいかねません。ポストモーテムは、次の挑戦者を育てるための場でもあることを、進行役は常に意識しておく必要があります。

さらに、進行役自身が特定の結論に誘導しないように注意することも大切です。「やはりあの時の判断は甘かったですね」といった一言を進行役が発してしまうと、それだけで場の空気は評価的なものに変わってしまいます。進行役の役割はあくまで問いを立てることであり、結論を下すことではありません。

総括せずになんとなく終わる

もう一つよくある失敗は、話し合いはしたものの、結局何が学びだったのかを言語化せずに終わってしまうケースです。参加者それぞれが「良い話し合いだった」という感覚だけを持ち帰り、具体的な教訓や次のアクションが何も残らない。これでは、時間をかけた意味が半減してしまいます。

これを防ぐには、セッションの最後に必ず「今日の学びを三つに絞るとしたら何か」という問いを立て、参加者全員でその場で言語化する時間を設けることです。三つという数に絞ることで、抽象的な感想ではなく、優先順位のついた具体的な教訓が言葉になります。

記録が誰にも読まれない

せっかく丁寧な振り返りを行っても、その記録が特定のフォルダの奥にしまわれたまま、誰の目にも触れずに終わってしまうことがあります。これでは、次に新規事業を立ち上げる担当者が過去の教訓を知る術がありません。

記録は長文の議事録として残すのではなく、一枚のサマリーとして、事業の概要、何がうまくいかなかったか、次に活かす教訓を簡潔にまとめる形が実用的です。そのうえで、新規事業を立ち上げる際の企画書のテンプレートに「過去の類似事例からの学び」という項目を設け、このサマリーを参照する導線を組み込んでおくと、記録は初めて生きた知見として機能します。

加えて、記録を作った直後に、経営会議や全社の朝会など、すでにある社内のコミュニケーションの場で簡単に共有する時間を作ることも効果的です。新しくポストモーテムのための共有会を設けようとすると、忙しさを理由に後回しにされがちですが、既存の場に数分間だけ組み込むのであれば実行のハードルは大きく下がります。記録を作ることと、それを実際に人の目に触れさせることは別の工程だと捉え、両方を意識して仕組みに組み込むことが大切です。

学びを次の新規事業に活かす仕組み化

ポストモーテムを一度きりの儀式で終わらせないためには、組織としての仕組みに落とし込むことが欠かせません。

教訓をデータベース化する

個々のポストモーテムのサマリーを、社内で誰もがアクセスできる場所に蓄積していくことをおすすめします。事業のジャンルや失敗の要因ごとにタグを付けておけば、新しい新規事業を検討する段階で、過去に似た事例がなかったかを簡単に調べられるようになります。件数が少ないうちは表計算ソフトでも十分ですし、蓄積が進めば社内wikiのような形に発展させてもよいでしょう。大切なのは形式よりも、検索して参照できる状態を作ることです。

中小企業の場合、新規事業の件数自体がそれほど多くないため、最初のうちは仕組み化するほどの分量ではないと感じるかもしれません。しかし、だからこそ一件一件の記録が貴重になります。年に一件、二件しか新規事業を立ち上げない組織にとって、過去の一件の教訓は、次の一件の成否を大きく左右する情報です。件数が少ないことは、記録を後回しにしてよい理由にはならず、むしろ一件ずつを丁寧に残すべき理由になります。

新規事業の起案プロセスに組み込む

次に、新規事業の起案書や企画書のフォーマットに、過去のポストモーテムを踏まえたチェック項目を組み込みます。例えば、過去に似た事業領域での撤退事例がある場合、その教訓に照らして今回の計画がどう違うのかを説明させる欄を設けるといった形です。これにより、過去の学びが単なる参考資料としてではなく、意思決定プロセスの一部として機能するようになります。

定期的に教訓を振り返る場を作る

ポストモーテムは事業が終わったときだけのものではありません。四半期や半期に一度、過去のポストモーテムを何件かまとめて振り返り、共通するパターンがないかを議論する場を設けている組織もあります。個々の事業の教訓を横断的に見ることで、組織全体に共通する構造的な課題が見えてくることも少なくありません。こうした積み重ねが、新規事業への挑戦を単発のギャンブルから、確実に前進していく学習のプロセスへと変えていきます。

まとめ

新規事業の撤退は、決して恥ずかしいことでも、隠すべきことでもありません。挑戦した証であり、そこには必ず次に活かせる学びが眠っています。問題は、撤退そのものではなく、その経験を組織の資産として残さずに終わらせてしまうことにあります。

犯人探しをせず、事実と解釈を分け、次に活かせる形で記録する。この三つの原則を守りながらポストモーテムを実施し、その教訓を仕組みとして次の挑戦に組み込んでいく。地道な営みですが、これを続けられる組織だけが、失敗を重ねながらも着実に前に進むことができます。

壁にぶつかり、時には撤退という決断を下しながらも、そこで立ち止まらずに歩みを進める人たちがいます。オルアナは、そうした挑戦の途中にいる経営者や新規事業責任者の隣に立ち、うまくいかなかった経験を次の一歩に変えるための伴走を大切にしています。撤退の先にある学びを、確かな資産として組織に残していきたいと考える方は、ぜひ一度オルアナにご相談ください。