新規事業と人事評価の矛盾
挑戦を「罰しない」組織が未来を創る
企業が持続的に成長し、変化の激しい時代を生き残るためには、既存事業の安定性とは異なる、「新規事業」という名の絶え間ない「挑戦」が必要です。しかし、多くの企業で、この「挑戦」の芽が、皮肉にも企業内部の「人事評価制度」によって摘み取られてしまうという悲劇が繰り返されています。
新規事業の現場は、不確実性、失敗、そして前例のない課題の連続です。これに対し、既存事業を支える伝統的な評価制度は、「計画達成度」「売上目標」「プロセス遵守」といった「確実性」と「効率性」を重んじる設計になっています。
この異なる論理を持つ二つの事業を、同じ物差しで評価することは、「新規事業への挑戦は、昇進・昇給の道を閉ざすリスクの高い賭けである」というメッセージを社員に送るに等しい行為です。結果、優秀な人材ほど「新規事業」という不確実な任務を避け、「安定した既存事業で確実な成果を出す」という「合理的な選択」をしてしまうのです。
新規事業を成功させるための組織文化とは、「挑戦を推奨する」だけでなく、「失敗を罰しない」、そして「失敗から得られた学習を正当に評価する」人事制度の上に築かれます。
このコラムでは、新規事業を推進し、挑戦的な文化を醸成するために不可欠な「評価制度のパラダイムシフト」を徹底解説します。既存事業とは明確に異なる、新規事業に特化した評価制度の設計方法を学び、あなたの組織を未来の成長を担う挑戦者の集団へと変革させましょう。
Ⅰ. 既存評価制度が新規事業を「殺す」構造的な問題
新規事業の評価を既存事業の基準で行うことが、いかに挑戦の芽を摘む構造的な問題であるかを理解する必要があります。
1. 「結果重視」がもたらす致命的な影響
既存事業の評価は、通常、売上や利益といった「結果」に強く紐づけられています。しかし、新規事業は、特に初期フェーズでは売上ゼロが当然であり、結果が出るまでに数年を要します。
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問題点
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長期的なコミットメントの欠如
「すぐに結果が出ない」ことが明らかであるため、評価を気にする社員は、長期的な成功よりも「短期的な見栄えの良い成果」を追求し、本質的な課題解決を怠ります。 -
失敗の隠蔽
失敗を報告すると評価が下がるため、「悪いデータ」や「仮説の誤り」が組織の上層部に上がることを避け、問題が手遅れになるまで隠蔽されるリスクが高まります。
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教訓
新規事業の初期評価においては、「結果」ではなく「学習」と「行動」に焦点を当てる必要があります。
2. 「横並び評価」と「リソースの奪い合い」
多くの場合、新規事業担当者は既存事業の社員と同じ評価プールに入れられ、限られた昇進・昇給枠を競います。
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問題点
既存事業の担当者は、安定した売上実績という明確な成果を持ち、評価で有利になりがちです。一方で、新規事業の担当者は、「事業が成功すれば報われる」という不確実な未来を担保に、不利な評価を受け入れさせられます。 -
結果
優秀な人材は、新規事業チームへの異動を「キャリアの遠回り」と認識し、挑戦的なポジションへの応募者が減退します。
Ⅱ. 挑戦を推奨する「新規事業特化型」評価の3つの軸
新規事業の評価制度は、「不確実性の中での行動」を正当に評価するために、既存事業とは異なる3つの軸で設計されるべきです。
1. 軸1:挑戦と学習の量(行動プロセス)
新規事業の価値は、「どれだけ速く、失敗から学び、正しい方向に進路修正(ピボット)したか」にあります。
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評価指標
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仮説検証サイクル数
「設定した期間内(例:四半期)に、顧客に対して検証を行った仮説の数」。数を増やすことが、リスクテイクを評価することにつながります。 -
失敗からの学習の質
「失敗した際、その失敗の原因を論理的に分析し、次のアクションに繋げられたか(学習の言語化)」を評価します。「この失敗は、〇〇という仮説が間違いであったことを証明する、〇〇円の価値がある学習である」といった形で、失敗を「学習資産」として評価対象にします。 -
顧客との対話回数
机上の空論を避けるため、「実際に顧客に会い、フィードバックを得た回数や質」を評価します。
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2. 軸2:プロダクト・マーケット・フィット(PMF)への貢献度(中間成果)
初期フェーズでは売上よりも、PMF(製品と市場の適合性)の確からしさを示す中間指標を重視します。
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評価指標
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顧客ロイヤリティ(NPS/満足度)
「製品の顧客ロイヤリティが、事前に設定した目標値(例:NPSが初期値から20ポイント向上)に達したか」を評価します。 -
ユニットエコノミクスの健全化
「顧客獲得コスト(CAC)をどれだけ抑制し、LTV(顧客生涯価値)を高められたか」という、事業モデルの構造的な健全化への貢献度を評価します。 -
撤退基準の提示
「客観的なデータに基づき、事前に設定した撤退基準(NO-GO基準)の必要性を、上層部に論理的に提示できたか」を評価します。「無駄な投資の拡大を防いだ」ことも、新規事業における大きな成果です。
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3. 軸3:組織への貢献とアセットの創出(非財務成果)
新規事業チームの活動は、将来の事業展開に役立つ無形の資産を生み出します。
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評価指標
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新規性の創造
「新たな特許、技術、ノウハウ、データセット」といった、会社のアセットとなる無形財産の創出への貢献度。 -
社内スポンサーシップ
「既存部門のキーパーソンを巻き込み、リソースや知見を引き出し、社内政治を乗り越える調整能力」。これは、大企業における新規事業の成功に不可欠なスキルです。 -
採用力への貢献
新規事業の「魅力的なビジョン」を通じて、「外部から優秀な人材を惹きつけ、採用に貢献したか」。
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Ⅲ. 挑戦を報いるための「インセンティブ設計」
評価制度の変革と同時に、新規事業への挑戦を魅力的なキャリアパスにするためのインセンティブ設計が必要です。
1. 「別枠昇進・昇格」制度の創設
新規事業チームのメンバーを、既存事業とは別の評価プールで管理し、「新規事業特有のスキル(不確実性への対応力、ピボット能力)」を評価軸とした「別枠昇進・昇格」のパスを設けます。
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戦略
新規事業の経験は、「将来の経営幹部候補生としての必須研修」と位置づけ、既存事業の同世代よりも早いスピードで役職や等級を上げるパスを設計します。
2. 「ボーナス」を「ストックオプション(仮想)」で紐づける
特に立ち上げ期では、売上に連動したボーナスは機能しません。
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インセンティブ設計
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短期
学習目標(仮説検証数、PMF指標)の達成に紐づけた「達成賞与」を支給します。 -
長期
「事業の将来的な成功」に連動する「仮想ストックオプション(ファントムストック)」や「事業部内報酬制度」を導入します。これにより、創業者のような「オーナーシップ(当事者意識)」を醸成し、長期的なコミットメントを促します。
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効果
社員は、「短期の給与」と「長期の事業成功」という両方のインセンティブを持つことになります。
3. 「失敗の保証(セーフティネット)」を明文化する
失敗した際の「キャリアの保証」を明確にすることは、社員が安心して挑戦するための最大の動機付けとなります。
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明文化のポイント
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「失敗した事業の経験は、決して人事評価でマイナスに作用しないこと」を明文化し、経営層がコミットします。
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撤退後、本人のスキルと意向を踏まえ、「既存事業の重要なポジション(例:新規事業で得た知見を活かせる戦略部門)」への復帰を保証します。
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心理的効果
「この会社は、リスクを取った挑戦者を守ってくれる」という信頼感が醸成され、組織全体の挑戦文化が根付きます。
Ⅳ. 最後に:人事評価は「経営者の意志」そのものである
新規事業と人事評価の矛盾を解消することは、単なる制度変更ではなく、「当社は、未来の成長のために、不確実な挑戦に投資し続ける」という経営者の強い意志の表明です。
既存の物差しで新規事業を評価し続ける限り、組織は「効率化された過去の延長線」しか生み出しません。
挑戦を「罰する」のではなく、「学習」として正当に評価し、失敗を「次の挑戦のための最も高額な授業料」と位置づけること。そして、新規事業の経験が、組織内で最も魅力的なキャリアパスになるよう、制度を設計すること。
この人事評価のパラダイムシフトこそが、あなたの組織を「失敗を恐れず、未来を切り拓く挑戦者の集団」へと変貌させる、最も強力な武器となるでしょう。


