既存の強みを新規事業に活かす「アセット転用」思考
新規事業を立ち上げる際、「ゼロベース」でアイデアを考える必要はありません。むしろ、その発想こそが、大企業や歴史ある組織が持つ最大の武器を封印してしまう原因となります。
その武器とは、あなたの会社が長年かけて培ってきた「アセット(Asset:資産)」です。
潤沢な資金、優秀な人材、揺るぎないブランド力といった目に見えるアセットはもちろん重要です。しかし、真に新規事業の成功確率を高めるのは、「既存事業で培った、独自の技術、ノウハウ、顧客基盤」といった、競合には真似できない「目に見えないアセット」です。
多くの企業が、これらの強みを「既存事業の制約」と捉え、新規事業では全く関係のない分野に資金を投じて失敗します。その一方で、成功する企業は、既存のアセットを「全く新しい市場の課題を解決する手段」へと巧みに「転用」しています。
このコラムでは、新規事業の成功確率を劇的に高める「アセット転用思考」に焦点を当てます。富士フイルムの化粧品事業やソニーのPlayStationなど、アセット転用で成功した具体的な事例を分析し、あなたの組織が気づいていない「眠れる強み」を見つけ出すためのヒントを提示します。既存の力を最大限に活かし、競争を避けた独自の市場を切り拓く方法を学びましょう。
なぜ「アセット転用」が新規事業成功の鍵なのか?
新規事業が失敗する最大の要因は、「参入障壁の低さ」、つまり競合に簡単に真似されてしまうことです。アセット転用は、この問題を根本から解決します。
1. 競合に対する「模倣困難性」の確保
ゼロベースで立ち上げたアイデアは、技術もノウハウも誰でもアクセス可能です。しかし、長年かけて培われた独自のコア技術、特殊な製造プロセス、特定業界での顧客からの信頼といったアセットは、一夜にして真似できるものではありません。
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効果
アセットを転用して生まれた事業は、最初から高い参入障壁を持つため、競合の追随を許さず、一時的な独占市場(ブルーオーシャン)を築きやすくなります。
2. リスクとコストの劇的な低減
新規事業の立ち上げは、すべてをゼロから始めるため、技術開発、人材育成、ブランド構築に莫大な時間と費用がかかります。
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転用の効果
アセット転用では、「すでに存在する技術」や「すでに訓練された人材」、「すでに存在する顧客接点」を活用するため、初期投資や開発期間を大幅に短縮できます。これは、新規事業における「早く失敗して、早く学ぶ」というリーンスタートアップの原則とも合致し、リスクを最小化します。
3. 「新規事業=投資」ではなく「技術の再利用」へ
アセット転用思考は、新規事業を「既存事業の延長ではない、全く新しい投資」と捉えるのではなく、「遊休資産や遊休技術の再利用」と捉えることを可能にします。これにより、社内の承認も得やすく、既存部門からの協力を得やすくなります。
成功事例から学ぶ「アセット転用」の3大パターン
世界的な成功を収めた新規事業の裏には、既存のアセットを大胆に転用した戦略が隠されています。
パターン1:コア技術の「水平展開」
既存事業で培った「ユニークな技術や素材」を、全く異なる業界の課題解決に適用するパターンです。
富士フイルム:「コラーゲン技術」の化粧品・医療への転用
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元のアセット
写真フィルムの製造技術 -
コア技術
写真フィルムの主原料である「コラーゲン」の高度な制御技術(劣化防止、安定化、高純度化)、そして「抗酸化技術」。 -
転用先
化粧品(アスタリフト)、医療・医薬品。 -
成功のロジック
人間の皮膚の約70%はコラーゲンであり、フィルムの劣化を防ぐ抗酸化技術は、そのまま肌の老化を防ぐ技術として応用可能でした。これにより、化粧品市場に「技術的優位性」という強力な参入障壁を築き、成功を収めました。
パターン2:遊休リソースの「活用」
既存のビジネスモデルでは利用しきれていなかった「遊休リソース(人材、データ、顧客基盤)」を、新しいサービスとして切り出すパターンです。
Amazon:「ITインフラ」のクラウドサービス(AWS)への転用
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元のアセット
Eコマースサイトの運営のために構築した、巨大で余剰のある自社用ITインフラと、それを管理する技術ノウハウ。 -
遊休リソース
ピーク時以外は使用されていないサーバーや、その運用を支えるエンジニアのリソース。 -
転用先
外部の企業や個人に、「必要な時だけITインフラをレンタルする」クラウドコンピューティングサービス(AWS)。 -
成功のロジック
競合が「自社のECサイト」という本業に集中する中、Amazonは自社が抱える巨大なITインフラを「外部に提供できる商品」として再定義しました。これは、世界中の企業が抱える「初期IT投資の巨大なコスト」という課題を一気に解決しました。
パターン3:顧客基盤・ブランドの「信頼のブリッジ」
特定の市場で確立された「ブランドの信頼性」や「既存の顧客接点」を、異業種のサービスへ展開するパターンです。
ソニー:「ブランド信頼」のゲーム市場への展開(PlayStation)
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元のアセット
オーディオ・ビジュアル機器で築いた「エレクトロニクス企業としての高度な技術力と、若者からのブランド信頼」。 -
転用先
家庭用ゲーム機市場。 -
成功のロジック
当時、ゲーム機は子供のオモチャという認識が強かった中、ソニーは「テクノロジーとエンターテイメントの融合」というブランドイメージを転用し、ゲームを大人も楽しめる「高付加価値なエンタメ商品」へと昇華させました。結果、強力なブランド力で、それまでの任天堂やセガとは異なる、広範な顧客層を取り込みました。
自社の「眠れるアセット」を見つけ出すヒント
あなたの組織が持つアセットを、新規事業の武器として再定義するには、「既存の用途」から目を背け、「本質的な機能」に焦点を当てた問いかけが必要です。
問い1:当社の「最もマニアックな知見」は何か?
既存事業では当たり前すぎて誰も意識しない「マニアックな専門知識」や「暗黙知」こそが、強力なアセットになり得ます。
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問いかけ
「我々の組織は、世の中で最も何について詳しいか?(例:特定の素材の劣化スピード、特定の流通経路の癖、特定の規制の裏技など)」 -
ヒント
既存事業の「品質管理部門」や「製造現場のベテラン」が持つ知見は、新たな課題解決の種です。その知見をデジタル化し、SaaSとして提供できないかを考えてみましょう。
問い2:既存事業の「遊んでいる資源」は何か?
ピーク時以外は使用されていない設備、データ、あるいは特定のスキルを持つ人材など、「遊休化しているリソース」を洗い出します。
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問いかけ
「深夜や休日に稼働していない設備はないか?」「既存事業では使わないが、収集はしているデータはないか?」 -
ヒント
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遊休設備
地域のスタートアップに時間単位で貸し出し、コワーキングスペース化する。 -
眠っているデータ
既存事業の顧客の「行動データ」を匿名化し、新しい市場調査サービスとして外部に提供する。
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3. 顧客は「何に最も信頼」を置いているか?
ブランド名そのものだけでなく、顧客が「この会社になら安心して任せられる」と感じている、最も核となる信頼の対象を特定します。
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問いかけ
「もし明日、主力製品がなくなったとしたら、顧客は当社のどの部分(ブランド名、技術力、特定の担当者の対応力)を惜しむだろうか?」 -
ヒント
「信頼できるアフターサービス」というアセットは、そのまま「高齢者向けの複雑なデジタル機器の訪問サポートサービス」へと転用できるかもしれません。
アセット転用を成功させるための組織的アプローチ
アセット転用思考を単なるアイデアで終わらせず、事業として結実させるには、組織的な工夫が必要です。
1. 異種混合チームの結成(多様性の確保)
アセットの転用アイデアは、「元の技術を知っている人」と「新しい市場を知っている人」の化学反応から生まれます。
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組織
既存事業の技術者、製造担当者、そして新規事業のマーケティング担当者、外部の業界専門家など、異なる視点を持つ人材を意図的に集めたチームを結成します。 -
効果
技術者が「こんな応用ができる」と考えた課題に対し、マーケターが「それは市場では価値がない」と否定し、より市場性の高いアイデアへと昇華させるプロセスを生みます。
2. 「失敗のコスト」を転用で最小化する
アセット転用は、ゼロベースの挑戦よりもリスクが低いことを、社内に明確に示します。
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承認
「この新規事業は、既存の遊休設備を利用するため、新たな設備投資はゼロです」「既存の顧客接点を利用するため、初期の広告宣伝費を〇〇%削減できます」といったロジックで稟議を通します。 -
リーンスタートアップとの融合
転用したアセットを用いてMVP(実用最小限の製品)を構築し、市場で検証するサイクルを最速で回すことで、失敗のコストをさらに最小化します。
最後に:アセット転用こそ「最強のイノベーション」
新規事業は、必ずしも派手な技術革新を必要としません。それは、「既存の強みを、誰も気づかなかった新しい課題解決に適用する」という、視点の転換から生まれます。
あなたの組織が持つアセットは、歴史と経験に裏打ちされた、世界に一つだけのユニークな武器です。そのアセットを「既存事業の枠」から解放し、「新しい市場の課題」という戦場へと送り出すこと。
この「アセット転用思考」こそが、競合が追いつけないスピードで、あなたの新規事業を確実な成功へと導く、最強のイノベーション戦略となるでしょう。あなたの会社の「眠れる強み」を、今日から見つけ出してください。


