失敗から学ぶ「市場規模」の重要性
失敗から学ぶ「市場規模」の重要性:参入すべき市場の見極め方
新規事業のアイデアが生まれたとき、多くの起業家や事業担当者は、そのアイデアの「革新性」や「技術的な優位性」に目を奪われがちです。しかし、事業計画の審査において、最も冷徹に、そして決定的に成功の可否を分ける要素があります。
それが、「市場規模(Market Size)」です。
「素晴らしい製品」と「小さな市場」が組み合わさると、必ず「ハッピー・プア(Happy Poor)」という悲劇的な結果を生みます。これは、顧客からは熱狂的に支持されているにもかかわらず、売上総額が人件費や開発費といった固定費を賄うにはあまりにも小さく、資金が尽きて事業が立ち行かなくなる状態を指します。
市場規模の調査を軽視し、「まずは始めてみて、市場は後からついてくるだろう」と楽観視することは、船の大きさに合わない小さな港を目指すようなものです。やがて、その小さな港では成長の限界を迎え、撤退以外の選択肢がなくなるという現実に直面します。
市場規模の分析は、単なる「数字合わせ」ではありません。それは、「この事業が、将来的に資本を投下するに値する成長の余地を持っているか」を科学的に見極める、最も重要なリスクマネジメントなのです。
このコラムでは、新規事業の失敗事例から学ぶ「市場規模」の重要性を説き、事業の成功に不可欠な「参入すべき市場の見極め方」を解説します。事前の調査方法から、将来的な市場拡大の可能性を評価する戦略まで、あなたの事業を確かな成長軌道に乗せるための知識を学びましょう。
Ⅰ. なぜ「市場規模が小さい」と失敗するのか:残酷な経済合理性
市場規模の小ささが、どのように事業の持続可能性を奪うのか、その経済合理性を理解することが重要です。
1. 資金調達と固定費の壁
スタートアップや新規事業は、初期段階で多額の固定費(人件費、オフィス、システムインフラ)を必要とします。
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VCの論理
ベンチャーキャピタル(VC)は、「10倍、20倍のリターン」を目指して投資します。市場規模が小さく、売上天井が明確に見えている事業には、そもそも投資対象として見なされません。VCは、あなたの事業が「IPOや大型M&Aに至る可能性(数百億円規模のExit)」を求めており、その可能性が低い市場には、どんなに顧客ロイヤリティが高くても投資しないのです。 -
企業の論理
大企業内の新規事業でも、数年以内に「既存事業の〇〇%」といった成長目標が課せられます。市場規模が小さければ、その目標達成が最初から不可能です。結果として、リソースの引き上げや撤退の判断が下されやすくなります。
2. マーケティング効率の悪化
市場規模が小さい(ニッチすぎる)場合、顧客獲得コスト(CAC)が跳ね上がり、ユニットエコノミクスが崩壊しやすくなります。
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広告の非効率性
ターゲット顧客が極端に少ない場合、マス広告やWeb広告を打っても、多くの費用がターゲット外の層に浪費されます。結果として、顧客獲得コスト(CAC)がLTV(顧客生涯価値)を上回り、事業を拡大するほど赤字が膨らむ構造に陥ります。 -
成功のパラドックス
市場が小さいと、製品が成功し、市場のシェアを100%獲得できたとしても、その総売上が固定費を賄えないという「成功のパラドックス」に陥ります。
3. 「小さな成功」からの脱出路がない
市場規模が小さい事業は、成功してもその「小さな成功」から抜け出すための「ピボットの自由度」が制限されます。
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成長の限界
顧客満足度が高くても、その顧客層の総数が少ないため、次の成長市場へ展開しようにも、最初の製品や顧客データが「汎用性を持たない」ケースが多いです。初期の成功が、次の大きな市場への参入障壁となってしまうのです。
Ⅱ. 市場規模の3つの評価軸:TAM、SAM、SOM
市場規模を論じる際、「TAM、SAM、SOM」という3つの異なるレイヤーで評価することが、過小評価や過大評価を防ぐために不可欠です。
| 評価軸 | 定義 | 問い(何を意味するか) | 戦略的な意味 |
| TAM (Total Addressable Market) | 獲得可能な最大の市場規模(理論上の上限)。 | 「市場の全員が、この製品のカテゴリ全体に費やす総額はいくらか?」 | 事業の長期的な可能性と天井を示す。VCが最も重視する指標。 |
| SAM (Serviceable Available Market) | 自社がサービス提供可能な市場規模(地域、法規制、技術的制約)。 | 「自社のビジネスモデルや地域で、現実的にサービスを提供できる顧客層の総額はいくらか?」 | 現実的な最初の目標設定の基礎となる。 |
| SOM (Serviceable Obtainable Market) | 自社が現実的に獲得可能な市場規模(シェアの目標)。 | 「初年度から3年で、競合優位性を活かして獲得できる顧客の総額はいくらか?」 | 初期の売上目標と計画の具体的な根拠となる。 |
- 戦略的利用
多くの新規事業は、TAMだけを見て夢を語りがちですが、初期の事業計画はSOMとSAMを根拠に作成し、TAMは将来の成長ストーリーとして提示すべきです。この3つの数字に大きな整合性があることが、計画の信頼性を高めます。
Ⅲ. 事前調査の徹底:市場規模を「推計」する技術
市場規模の数字は、しばしば公開情報だけでは把握できません。正確性を高めるための「推計」と「検証」の技術が必要です。
1. トップダウン・アプローチ(TAMの把握)
公開されているマクロデータから市場規模を推定する手法です。市場の天井を見るために使われます。
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手法
業界レポート、統計データ(政府発表、調査会社の資料)、競合企業のIR情報などを活用します。 -
リスク
数字が大きくなりがちで、「本当に自分たちが参入できる市場か」という現実感に欠けやすい(市場の過大評価)。
2. ボトムアップ・アプローチ(SOMの検証)
「顧客一人ひとりの行動」から市場規模を積み上げて推計する、より現実的な手法です。初期の収益性を検証するために使われます。
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計算式
SOM = 特定のターゲット顧客の総数 × 平均単価(ARPU) × 想定獲得シェア -
手法
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ターゲット顧客総数
顧客インタビュー、SNS分析、Web広告のターゲティング機能(例:Facebook広告で特定の属性にターゲティングした際のリーチ数)を使って推計。 -
平均単価(ARPU)
MVP(実用最小限の製品)やアンケートで、「この製品にいくらなら支払うか?」という価格感度テストを実施して検証。
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メリット
トップダウンよりも「顧客の顔が見える、リアリティのある市場規模」を推計でき、初期の事業計画の精度が格段に上がります。
3. 「市場拡大の可能性」を将来的に評価する
現在の市場規模が小さくても、「将来的に市場が拡大する明確な理由」がある場合は、投資の対象となります。
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評価項目
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技術革新
AIやIoTの普及により、潜在的な顧客層が今後爆発的に増える技術的背景があるか? -
法規制の変化
規制緩和や政府の政策(例:脱炭素化)により、市場が急拡大する明確なトリガーがあるか? -
周辺市場への展開
初期市場での成功を土台に、周辺のより大きな市場(TAM)へスムーズに展開できる論理的な道筋(ロードマップ)があるか?(例:特定の地域から全国へ、特定の業界から水平展開へ)
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Ⅳ. 最後に:「市場規模」は事業の寿命を決める
新規事業のアイデアを評価する際、「市場規模の小ささ」は、「製品の不完全さ」よりも深刻な失敗原因となり得ます。製品は改善できますが、市場の小ささは変えられません。
市場規模の調査は、単に「大きな数字」を探すことではありません。それは、「あなたのアイデアが、この世界でどれだけの数の顧客を救い、どれだけの経済的価値を生み出せるか」という、事業の「天井」と「寿命」を見極める行為です。
あなたの熱意を客観的な数字で裏打ちし、TAM、SAM、SOMという3つの軸で徹底的に市場を分析してください。その冷静な分析こそが、あなたの事業が「ハッピー・プア」の悲劇を避け、持続的な成長を実現するための最初の、そして最も重要な一歩となるでしょう。


