成功事例から学ぶ「顧客ニーズ」の深掘り術
売れる製品はこうして生まれた
新規事業の世界で、「売れる製品」と「消える製品」を分ける境界線は、そのアイデアの「斬新さ」にあるのではなく、「顧客ニーズの深掘り」にあると言っても過言ではありません。
多くの事業担当者が、「顧客の声を聞け」という教えに従い、アンケートやインタビューを実施します。しかし、そこで得られるのは、顧客が「意識している不満」や「既存製品への要望」、すなわち「顕在ニーズ(ウォンツ)」に過ぎません。
顧客が「もっと速い馬車が欲しい」と言ったとき、本当に欲しかったのは「移動時間の短縮」という本質的な価値です。この本質的な価値、つまり「顧客自身もまだ言葉にできていない、根深い不満や痛み(Pain Point)」を掘り当てることこそが、市場の常識を覆す「破壊的イノベーション」を生み出す唯一の方法です。
「言われたことをやる」のは改善ですが、「言われなかったこと」を先回りして解決するのが、新規事業の成功です。
このコラムでは、歴史的な成功事例を分析し、表面的なニーズではなく、その背景にある「潜在ニーズ」にアプローチすることの重要性を説きます。そして、成功企業がどのようにしてその「黄金のニーズ」を掘り当てたのか、その具体的な洞察のプロセスを学びましょう。
Ⅰ. 失敗事例から見る「顕在ニーズ」の罠
なぜ、多くの新規事業が失敗するのでしょうか。その一つの大きな理由は、顧客の「言われたこと」に忠実になりすぎることです。
1. 「機能追加」の無限ループと製品の肥大化
既存事業の延長線上にある新規事業ほど、この罠に陥りがちです。
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顧客の声(顕在ニーズ)
「Aという機能があれば、もっと便利になるのに」「競合製品にはB機能があるから、うちも付けてほしい」 -
結果
顧客の要望に一つ一つ応えるうちに、製品は「機能の過剰(Feature Bloat)」状態に陥ります。結果、製品は複雑化し、コストは高騰し、初期のコアターゲット層が求めていた「シンプルさ」や「使いやすさ」が失われます。 -
教訓
顕在ニーズは、多くの場合、既存製品の「改善」を求める声であり、「新しい価値創造」の種ではありません。真のニーズは、顧客がその機能を使って「何を実現したいのか」という背景に隠されています。
2. 「安ければ買う」の裏側にある真実
顧客が「価格を下げてほしい」という顕在ニーズを語るとき、それが最も単純で聞こえの良い解決策のように見えます。
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潜在ニーズ
顧客が本当に価格を気にしているのは、「その製品に、支払うだけの価値を感じていない」からです。あるいは、「価格が不透明で、将来的なコスト予測ができない」ことへの不安かもしれません。 -
イノベーション
価格を下げることではなく、「価格以上の圧倒的な価値」を提供すること、あるいは「価格構造自体を変える(例:買い切りからサブスクリプションへ)」ことが、潜在的な不安を解消する鍵となります。
Ⅱ. 成功事例1:富士フイルムが掘り当てた「無形の資産」の潜在ニーズ
写真フィルムという巨大な事業を失った富士フイルムが、化粧品や医療機器の分野で再生を遂げたプロセスは、潜在ニーズの深掘りの好例です。
1. 表面的なニーズ:「フィルムが欲しい」
デジタル化の波の中で、写真業界の顕在ニーズは「フィルムの低価格化」や「高画質化」にありました。しかし、富士フイルムは、この市場が消滅することを予測していました。
2. 潜在ニーズ:「コラーゲンを守りたい」
フィルム事業を続ける中で蓄積された「無形の資産」に着目しました。
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問い
「フィルムを作る技術とは、一体何なのか?」 -
発見
フィルムの主原料はコラーゲンであり、その感光材料の劣化を防ぐ技術は、「抗酸化技術」と「ナノ分散技術(粒を細かくする)」という、「人間の肌の老化を防ぐ」化粧品や「薬剤を患部に正確に届ける」医療の領域で極めて重要であることが判明しました。 -
インサイト
フィルム技術の核は、「光と酸化から素材を守り、ナノレベルでコントロールする能力」だったのです。 -
製品
この潜在ニーズ(「いつまでも若々しい肌を保ちたい」「病気を根本的に治療したい」という、人類共通の潜在ニーズ)に対し、自社のコア技術を転用した化粧品「アスタリフト」や、高機能な医療機器が生まれました。 -
教訓
顧客のニーズだけでなく、自社の「技術」の裏側にある「本質的な能力」を掘り下げることが、次の事業を生み出す鍵となります。
3. インスタントカメラ「チェキ」の成功:「SNS時代の感情的ニーズ」
富士フイルムは、デジタル全盛期に、あえてインスタントカメラ「チェキ」を成功させました。
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顕在ニーズ
「すぐに写真が見たいなら、スマホで十分」 -
潜在ニーズ
「デジタルデータとして大量に保存するのではなく、その瞬間の感情や思い出を、物理的なモノとして『共有・交換』したい」という、若年層の情緒的なニーズでした。 -
教訓
製品の機能(すぐに撮れる)ではなく、「人と人とのコミュニケーションや感情の交換を促進する」という情緒的価値を掘り当てたことが、チェキを単なるカメラではなく、「コミュニケーションツール」へと昇華させました。
Ⅲ. 成功事例2:水道工事店が生んだ「スーツに見える作業着」の真実
東京の水道工事会社が発案した「スーツに見える作業着」(ワークウェアスーツ)の成功は、潜在ニーズの典型的な事例です。
1. 表面的なニーズ:「機能的な作業着が欲しい」
水道工事の作業着に必要なのは、撥水性、耐久性、動きやすさ、収納ポケットの多さなど、機能面でした。
2. 潜在ニーズ:「社会人として恥ずかしくない格好がしたい」
女性社員の提案から生まれたこのアイデアの背景には、作業着を着る人々の「社会的な立場や感情」に関する根深い不満がありました。
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Pain Point
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営業・商談時
作業着のまま商談先や顧客宅へ訪問する際、「TPOに合わない」「だらしない格好で失礼ではないか」という心理的な抵抗。 -
休憩・移動時
作業着のまま街中を移動する際の「社会的な眼差し」や、作業着の「ダサさ」から来るモチベーションの低下。
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インサイト
顧客が本当に欲しかったのは、「水道工事のプロフェッショナルとしての誇りを持ち、どんな場に出ても恥ずかしくない『信頼感』と『清潔感』」という、自己肯定感と社会性のニーズでした。 -
製品
撥水性や伸縮性といった作業着の機能性を持ちながら、見た目はシャープなスーツという、「機能性と社会性」を両立させた製品が誕生し、業界を超えたヒット商品となりました。 -
教訓
ニーズは必ずしも業務効率化だけではありません。「感情的な不満」や「社会的なステータスの渇望」といった、人間的なインサイトを掘り当てると、爆発的な市場を生み出します。
Ⅳ. 潜在ニーズを掘り当てるための「黄金の質問」
成功事例から学べるのは、「顧客の行動の裏側にある理由」を徹底的に問い詰める姿勢です。
1. 「5回のWhy」で本質的なPain Pointに到達する
顧客の不満に対して、「なぜ?」を最低5回繰り返すことで、表面的な理由から、根源的な理由へと辿り着きます。
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例
「なぜ、このSaaSの機能Aを使わないのですか?」→ 「なぜ、他のツールで代替しているのですか?」 → 「なぜ、その代替手段にストレスを感じるのに、使い続けているのですか?」 → …
2. 「ジョブ理論」で顧客の「採用理由」を問う
顧客は、製品を「あるジョブ(片付けたい用事)」のために「採用」しています。
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問い
「この製品を買って、あなたの生活や仕事の何が、最も良くなりましたか?」 -
インサイト
顧客は、製品の機能ではなく、「子供との時間が増えた」「残業が減って心の余裕ができた」といった「究極の利益」を語ります。この「採用した理由(ジョブを片付けた結果)」こそが、製品の真の提供価値です。
Ⅴ. 最後に:ニーズは「観察」と「共感」から生まれる
新規事業のアイデアは、会議室のホワイトボードからではなく、顧客が製品を使い、生活し、働く「現場」から生まれます。
成功事例が示すのは、「顧客の声」を聞くこと以上に、「顧客の行動と感情を徹底的に観察し、共感する」ことの重要性です。
あなたの製品の顧客が、今、何を我慢し、何にフラストレーションを感じ、そして「本当はどんな未来を望んでいるのか」。その潜在ニーズを掘り当てたとき、あなたのアイデアは、市場に求められる揺るぎない事業へと昇華するでしょう。


